• ボーイスカウトの高崎第22団の紹介ページです

1907年、B-Pはイギリスのブラウンシー島で20人の少年たちと実験キャンプを行い、この結果と自らの体験を基に「スカウティング・フォア・ボーイズ」(「少年のための斥候術」といった意味)という雑誌(後に一冊にまとめられた。)を刊行した。これがボーイスカウト活動の発祥とされています。

おりしも、第一次世界大戦が終わり、ヨーロッパ中に予想もしなかったような戦死者の数で厭世的な気分が蔓延していたために、「少年の斥候兵(スカウト)」というやや戦争翼賛的な方向を修正し、国際的な平和的な野外活動に手直ししました。しかし、この発想はその他の国々では、さまざまなイデオロギーに転用され、戦前の旧ナチス・ドイツではヒトラーユーゲント、ソ連ではピオネール、中華人民共和国では少年先鋒隊として、2,000万人からの子どもたちが赤いスカーフを首に巻いています。

1907年、B-Pによるブラウンシー島での実験キャンプ(スカウトの最初のキャンプ)
1908年、「Scouting for Boys」刊行。ボーイスカウト英国本部設立
1909年、スカウト運動がアメリカへ伝わる(「無名スカウトの善行」)
1910年、米国ボーイスカウト連盟が設立。B-Pの妹であるアグネス・ベーデン-パウエルが、ガールガイド(ガールスカウト)を発足。
1916年、「The Wolf Cub’s Handbook」出版。ウルフカブ(カブスカウト)はじまる
1918年、ローバースカウトはじまる
1919年、ギルウェル指導者実修所(ギルウェル・パーク)開設
1920年、第1回世界ジャンボリー開催(ロンドン)。B-Pが「世界の総長」に選出される